<証(あかし)について>

クリスチャンは、証(あかし)という文章を発表することがあります。
この証というのは、イエス・キリストを信じた経緯などを書いた文章です。
また、自分の信仰の告白でもあります。

次に掲示する証は、私が洗礼を受ける時に教会の会衆の前で読み上げたものです。
(洗礼は、2004年4月11日日曜日イースターに受けました。)
内容は、クリスチャン向けに書かれているため、一般の人には少しわかりづらい部分が
あるかもしれません。
でも、洗礼を受けた記念にHP上に証の文章を掲示致します。
読んでいただけると嬉しいです。


-------ここから証---------------------------------------------------

《証》 2004年4月11日 ふかごろう

私は、幼いころから教会へ通っていました。
父と母がクリスチャンだったからです。
教会で色々な話を聞いたことを覚えています。
家にも、旧約聖書の物語の絵本があり、それを読んでいた記憶があります。
そのように私は幼いころ自然にキリスト教に触れていました。

けれども、中学生になると教会に通わなくなってしまいました。
神様の存在に疑いを持つようになったのです。
そのころから神様から離れた人生を送るようになりました。

高校生のころから、私は物事を深く考えるようになっていきました。
そして、唯物論と呼ばれる考え方をするようになりました。
これは、目に見えるものが全てである。
科学で証明できるものが全てである。
そういう、非常に偏った考え方でした。

この唯物論の考え方をもったまま、私は学校を卒業し、社会へ出て行きました。
就職して、しばらくの間は、なんとか仕事をこなしていました。

ところが、4年ほど経った時に、大きな転機を迎えました。

精神的な病に罹ったのです。

それは統合失調症と言う病です。
幻覚や幻聴、妄想の症状を伴う病で、この病に罹ると社会生活が困難になります。

この病の症状が初めて現れた時、私は、非常に驚きました。
とても不思議な出来事が起こったのです。

それは、幻聴のようであって幻聴のようでない、不思議なことでした。

ある日、職場でひとりの人がこう言っているのが聞こえました。

「そのぐらいで済むと思うなよ」

この人は、同じフロアの遠くの方にいて、その近くの人にそう語ったのです。
私に向かって言ったのではありません。

ところが、その言葉が聞こえた瞬間、それが私に向けられた言葉であると強く感じました。

そのころ、私は仕事が上手く行かず困っていました。
もうこれ以上悪いことは起こらないでくれと思っていました。
そんなとき、「そのぐらいで済むと思うなよ」という、言葉が私の耳に届いたのです。

その瞬間、私は強烈な焦燥感に囚われました。

この時を境にして、幻覚や幻聴が怒涛のごとく私を襲って来るようになりました。

私は、とんでもない状況に陥りました。

けれども、その時ひとつの考えが私の頭に浮かびました。
この世界は、科学で証明されることや、目に見えることだけが存在している訳では無い。
人間にはコントロールできないこともある。

その瞬間、私の唯物論の考え方は、崩れ去りました。
同時に、神様という存在に強く惹かれるようになりました。

それから、しばらく時が経ちました。

母からキリスト教関連の本が届けられました。
その本は、清水先生からのプレゼントでした。
私は、その本を読み、キリスト教に興味を持ちはじめました。

私は、神様という存在に強く惹かれていたので、聖書に大きな興味が沸きました。
そして、聖書を読み通しました。

また、キリスト教に関する本を色々読み始めました。
その結果、キリスト教は正しいと思うようになりました。
私は、イエス・キリストを心に受け入れました。
そして、私は教会に通うようになりました。

私はそれまで、罪深い人間でした。
自己中心的で、自分さえ良ければそれで良いというような考えを持っていました。
人に対しても、傷つけるようなことを平気で言っていました。

私は、自分の犯した罪を全部紙に書き出し神様に祈りました。
罪を告白することはとても辛いことでした。
しかし祈り終えると、心が平安で満たされました。
そして、体がとても軽くなったような気持ちがしました。
この時から、私の生活と心の状態が変わって行きました。

治療に専念するため仕事を辞めました。
心の中の嵐が過ぎ去って平安が支配するようになりました。
そして、統合失調症の症状もだいぶ落ち着いてきました。

また、私のそばにはイエス・キリストがいつもいてくださるという安心感を覚えるようになりました。

その後、私は教会で洗礼のための学びを開始しました。
学びを通し、イエス・キリストは、私の罪の贖いの代価として十字架に付けられたこと、また、3日目に蘇られたことなどを学びました。
私の罪のためにイエス・キリストが十字架にかかって死んでくださったこと、それによって私の罪が赦されたことを心から感謝しています。
私は、イエス・キリストが神であり、私を救ってくださった私の主であることを信じます。

私を導いてくれた聖書の御言葉は次の箇所です。

神は愛です。 ヨハネの手紙第一 4章16節

神は愛の方なのだから、私を見捨てることは決してなさらない。
病の苦しみの中にあっても、この御言葉に励まされ希望を見出していました。

最後に、これから目指す生き方についてお話します。

これからは、神様を中心とした生き方をして行こうと思います。
聖書の教えを良く守り、聖書にしたがって生活して行こうと思います。
そして、神様のみこころを実現して行くことの一旦を担える仕事ができたら良いなと思っています。

以上で証を終了します。


戻る